大阪大学は地元財界の全面的な財政的支援を受け、昭和6年 (1931年) に国内で6番目の帝国大学として創設されました。当初は、医学部と理学部の2学部でしたが、昭和8年 (1933年)に工学部を加え、3学部からなる総合大学となりました。初代総長は、土星型原子模型を提唱したことで有名な物理学者の長岡半太郎博士であり、漆の研究で有名な眞島利行理学部長の下、代数学の正田建次郎、八木アンテナを発明した八木秀次、X線構造解析の仁田勇、原子物理学の菊池正士などの諸先生が集い、若々しい理学部の活発な研究を支えました。その後、まだ学位を持たない湯川秀樹氏が講師として加わり、中間子論の研究を行って本学で博士号を取得されました。まさにその研究成果が、後に、日本初のノーベル賞に輝いたのです。それから現在に至るまで、理学部は『勿嘗糟粕(そうはくをなむるなかれ)』という長岡半太郎博士の言葉を精神的規範とし、世界に先駆けた独創的な研究と教育を続けています。
現在の理学研究科・理学部は、6専攻4学科からなり、約220名の専任教員、約1200名の学部学生、約900名の大学院生を擁し、大阪大学の中でも大きく、中核的な部局の一つです。平成16年度 (2004年度) の国立大学法人化の際には、迅速な意思決定を行うべく、それまでの教授会の機能の一部を、専攻長・学科長合同会議で代行することを決めました。また、研究科長と4-5名の副研究科長及び事務長、事務長補佐からなる企画調整会議を組織し、研究科の管理運営に係る企画や予算配分などについての立案を行っています。
平成23年 (2011年) 10月1日には、基礎研究の中から大型プロジェクトとして推進されるような発展性の高い研究を支援する教育研究施設として、『基礎理学プロジェクト研究センター』を設立し、基礎理学、産学連携、学際融合など多様な大型プロジェクト研究を活発に進めています。平成29年 (2017年) 2月には、このセンターの活動拠点となる新しい建物(理学J棟)が完成し、南部陽一郎ホール(2F)で、公開講座サイエンスナイトなど社会との連携を図るさまざまな企画により、理学研究科を開かれたものとする活動が展開されています。
学問分野としての理学は、歴史があり、自然科学のフロンティアを常に探求して、新たな真理の発見と新しい概念の構築に貢献してきました。現在の最先端の科学技術の多くは理学の成果をもとに発展したものであり、現在でも絶えず理学(基礎)から工学(応用)へ、研究テーマの移動が起こっています。純粋な興味から出発した研究成果が、視点を変えると社会に役立つ技術になりうるという例は、枚挙にいとまがありません。その意味で、理学はすべての科学の源となる「泉」のような存在であると言えます。自然界の「不思議」に目を向け、その謎解きに真剣に取り組むという理学者精神を、理学部・理学研究科のすべての教員と学生が共有し、また次の世代に引き継いでいきたいと思います。