10周年記念インタビュー<第1部>※1
豊中地区研究交流会 誕生の経緯
※1 2025年9月18日、基礎工学国際棟ホワイエにて実施。
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2013年10月、未来研究イニシアティブ※2のキックオフ講演会での出会いが、豊中地区研究交流会の10年にわたる歩みの始まりでした。理学研究科の豊田岐聡(とよだみちさと)教授と、当時法学研究科の故 田中仁(たなかひとし)教授は、中国の環境問題という共通の関心事項を発見し、研究交流が始まりました。
※2 本学の未来戦略を推進するために創設された支援事業であり、大阪大学ならではの基礎研究を強化するとともに、国家的課題の解決につながる新たな研究分野の創出を目的とする。2013年9月に11事業を選定。https://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/topics/2013/09/20130919_01
Q1. それまで田中先生のことはご存じだったのでしょうか?

左: 理学研究科•豊田岐聡教授
右: 法学研究科•北村亘教授(インタビュアー)
[豊田教授(以降、敬称略)]面識も何もなかったです。最初のキックオフ講演会の懇親会の時に、私の横に田中仁先生がたまたま居られて。そのときに、田中先生が名刺代わりに中国語のブックレットを出してこられて、『何だろう?』と思いつつ、少しお話をしたのが最初ですね。
翌2014年3月開催の未来研究イニシアティブ報告会における田中教授の発表(中国のPM2.5に関するもの)をきっかけに、両教授の文理融合の取り組みは加速します。
Q2. 研究交流を始めるにあたって、豊田先生から、または田中先生から、何か特別なアプローチはあったのでしょうか?

法学研究科•故 田中仁教授
(2020年1月撮影)
[豊田]2014年3月の報告会の翌日だったか数日後だったかに、モノレールの山田駅でたまたま出くわして。そこで田中先生の方から『同じ高校出身ですね』とおっしゃられて。(1、2回会っただけの人のことを)ちゃんと調べておられて。そこで話が盛り上がって、一緒に柴原までモノレールで来たのですが、ちょうど私の研究室でも「PM2.5が中国で増えた原因」を調べようと、中国でのPM2.5計測を始めたところだったので、『何かご協力できることはないですか?』とお話をして、そこから盛り上がったというところです。
ここから、共同セミナー開催へと発展し、同年10月には、大阪大学豊中キャンパスにて「東アジア“生命健康圏”構築に向けて:大気汚染と健康問題を考える日中国際会議※3」が開催されました。「21世紀課題群と中国※4」と「MULTUMで切り拓くオンサイトマススペクトロメトリー※5」の共同主催によるこの会議は、PM2.5をはじめとする大気汚染問題について、日中の研究者が専門分野や国境を越えて議論する場となり、豊田教授もディスカッサントとして貢献しました。2015年3月と11月に開催された研究セミナー※6, 7でも、両教授の交流は継続しました。
※3 2014年10月に豊中キャンパスで開催された国際会議。詳細は、思沁夫・田中仁編『東アジア”生命健康圏”構築に向けて : 大気汚染と健康問題を考える日中国際会議の記録』(OUFCブックレットvol. 6、2015/3)を参照。
https://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box5/vol6/fullcontents.pdf
※4, 5 2016年9月に選定された未来研究イニシアティブ支援事業における田中教授と豊田教授の研究グループ名。
※6 2015年3月2日に法学研究科セミナー室B(本館一階)において開催されたOUFC(Osaka University Forum on China)セミナーのこと。
※7 2015年11月3日に理学研究科H棟セミナー室A(H701号室)で開催された研究セミナー「中国の食・健康・環境の現状から導く東アジアの未来」のこと。詳細は、田中仁・思沁夫・豊田岐聡編『中国の食・健康・環境の現状から導く東アジアの未来—―地域研究における文理融合モデルの探求――』(OUFCブックレットvol.8、2016/2)を参照。https://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box5/vol8/full%20contents.pdf
Q3. もともと豊田先生の中で、理学だけでなく、他分野の研究者とも一緒に何かできたらいいなという思いはあったのでしょうか?田中先生は歴史の先生なので、ちょっと意外な感じがしておりました。

理学研究科•豊田岐聡教授
[豊田]理系部局の先生とは色々と一緒にやっていたのですが、まさか文系の先生と一緒にやるとは思っていませんでした。文系には全く興味がなかったというのが正直なところですが、田中先生と毎日のようにモノレールでお会いし、おしゃべりをしている中で、同じ高校出身という“同じ匂い”がする感覚もあって、『何かできるといいですね』という話はしていました。ただ、お話をしていると、噛み合わない部分もあるわけです。理系と文系の違いという。そのような中、2人で合意したのが、『まずお互いを知り合いましょう』と。そこから何か一緒にやれるものをということで、「まちかねCAFÉ」が始まったわけですね。
「まちかねCAFÉ※8」は、21世紀特有の複合的な課題解決には文理融合の対話空間が必要との認識から、2016年9月に誕生しました。毎回、文理それぞれの研究者が発表を行う形式で、互いの理解を深めることに重点を置いており、2025年10月には第48回を数えました。この「成果よりも相互理解」という精神は、豊中地区研究交流会設立の礎となりました。
※8 まちかねCAFÉの活動記録は次のURLを参照。https://mass.phys.sci.osaka-u.ac.jp/machicafe.html
Q4. それが最終的にいろいろな部局に声をかけて「豊中地区研究交流会」という形でやろうと思われたのには、どのような経緯があったのでしょうか?
[豊田]私自身、全く文系に興味がなかったというのがあって、文理融合も何も考えていなかった。高校までの文系の科目は大嫌いで、そのままずっと文系科目は面白くないはずだという意識があるわけです。ところが、田中先生と一緒にやり始めて、まちかねCAFÉも始めて、文系の先生の本音を聞くというか、講義ではなく今実際に『こんな研究をやっています』とか『こんなことに興味を持ってやっています』という話を聞いて、研究の「難しいところ」や「わからないところ」も含めて本音でお話しされるのを聞いていると、実に楽しい。いろいろ興味を持てるということが自分でわかったので、これはやっぱり皆さんにも味わってもらいたいと思うようになりました。
そして、2016年12月20日、大阪大学会館にて、第1回豊中地区研究交流会が開催されました。社会課題の総合的な解決には、産学官連携、そして分野を超えた協力が不可欠です。その第一歩として、豊中キャンパス内の研究者が、文理の垣根を越えて互いの研究を知り、交流する場を創設するという理念が掲げられました。
Q5. それまでは田中先生とお二人でやってこられたと思いますが、豊中地区研究交流会を始めるにあたっては、どのように周りの方を巻き込んでいかれたのでしょうか?
[豊田]一番最初は、北村先生を巻き込んでしまった(笑)。その当時、産連本部※9の副理事をどうするかという話があり、私は理学研究科から出ていたのですが、『文系は誰かおらへんのか』という話になって。それで田中先生に相談すると、法学研究科の北村亘先生を指名されました。産連本部で一緒に活動しているうちに、豊中地区研究交流会の立ち上げについても、そのまま北村先生を巻き込んでしまった(笑)。立ち上げ時のことはあまり覚えていないのですが、主に北村先生に動いていただいて、あとは田中先生と私で動いて。まずは理学研究科長(当時は常深博教授)を動かしたと思います。その後、豊中地区の部局長会議で全部局にお話ししたと。
※9 2011年4月に設置された大阪大学産学連携本部の略。

法学研究科•北村亘教授
[北村(以降、敬称略)]田中先生に指名されたとは知らなかったです(笑)。産連本部にも話しに行きましたよね、たしか。法学研究科には一番に持っていって、『研究者の学園祭みたいなもので、いろいろな出し物をして、他の人の研究を知るいい機会じゃないですか』というようなことを報告した覚えがあります、そうしたら皆さんが『学園祭か‥』とおっしゃって。そのような話で、まとまっていきました。その後、基礎工学研究科に持って行かれたわけですよね。
基礎工学研究科には、2016年10月の豊中地区部局長会議において、常深理学研究科長より研究交流会の連名主催の要請がなされました。「学際融合」というテーマが基礎工学研究科の理念に一致することから、基礎工学研究科長(当時は河原源太教授)が積極的な参加意向を表明しました※10。
※10 2025年9月18日実施のインタビューの後、基礎工学研究科・酒井朗教授に確認した内容をもとに記載。酒井教授は、基礎工学研究科の副研究科長(当時)として第1回豊中地区研究交流会を担当。
Q6. 1回目を開催したときの感触はいかがでしたか?
[豊田]1回目はちょっともう覚えていなくて…。それまでに田中先生とは2回の研究セミナーを一緒にやっていて、1回目は「環境」、2回目は「食」をテーマにしたので、『次の豊中地区研究交流会では何をやろう?』『文系と理系とで一緒にやれるものは何だろう?』と考えて、「放射線」というキーワードを掲げることにしました。田中先生のご友人だった山田康博先生(当時は国際公共政策研究科教授)に広島の原爆に関する話をしてもらい、理系には当然放射線に関連した研究をしている方がいるので、それらを一緒にやるといいよねと。午前中はポスター発表会を行い、昼から講演会という形にして。
Q7. 開催にあたって何か苦労されたことはありましたでしょうか?

いざとなったら、パワーポイントスライドやワードファイルを1ページ1ページ印刷して貼ってもよいと説明した(図左)。第4回目からはA0サイズの雛形も用意した(図右)。
[豊田]一番難しかったことは、やはりポスター発表ですね。文系の先生のほとんどは『ポスターって何ですか?』から始まってしまうわけですね。最初に田中先生とやり始めたときも同じでしたが、ポスターの作り方から説明する必要がありました※11。ポスターとはどういうものかというところからお教えして、作り方やパワーポイントの雛形をその当時のURAの方※12が用意してくれて、『枠の中にはめていただければ印刷は事務局でやりますから』と説明して。そうやって始めたことが一番大変でしたかね。
※11 2010年代の文系分野(特に歴史の分野)では、レジュメを読み上げる発表スタイルが主流であり、ポスター形式の発表は馴染みが薄いものであった。
※12 当時の理学研究科URA、坂口愛沙助教(現在は全学教育推進機構講師)のこと。
Q8. 「文明の衝突」じゃないですけども、文系と理系の違いで苦労されたというお話でしたが、逆にこれはうまくいきそうだと思われたことはあったでしょうか?
[豊田]いやもう最初は心配でしかなかったですね。最初に環境関係のシンポジウムを一緒にやった時は、まず私自身、文系のやり方がわからない。発表の後にディスカッサントがレビューしますよね。そのやり方も全然わからない。でも、私自身、何でもチャレンジする方なので、とにかく合わせてやってみようということで始めましたけれど、『うまくいくだろうか』『文理がかみ合うだろうか』ということは、すごく心配でした。田中先生はすごく真面目だけれど、大らかでもあって、何かうまく走り出したんですよね。田中先生は、理系のやり方も導入しようと強く思ってくれて、『ポスターをやりませんか』と言うと、『やってみよう』とおっしゃるし、『スライドを使ってプレゼンをやりましょう』というと、『やってみよう』とおっしゃる。うまく走り出して、田中先生とだったらうまくできるかなというように感じました。
Q9. 実際に豊中地区研究交流会を開催したとき、皆さんの反応はいかがでしたか?
[豊田]面白いという声ばかり聞こえてきましたよね。私が文系の先生方とお付き合いして感じていたことを、他の理系の先生も感じられたと。結局何だったかと言うと、『あれ?文系の先生も同じような手法を使っている!』とかね。我々で言うところの微分方程式を使って議論することを文系の先生もやっていて、片や宇宙で、片や中世とかにはなるのだけれど、考えていることはそんなに違わない。そういうことを感じられたというような感想がたくさん来て、これは何か先に繋がるのでは?と思わせてくれました。

第1回豊中地区研究交流会(2016年12月20日開催、場所: 大阪大学会館)
左: 広報チラシ、中央: ポスター発表セッション、右: 講演会
開催レポート:https://www.ura.osaka-u.ac.jp/uramagazine/vol_040.html#04
[北村]最初は、3回ぐらいまでいけたらいいねというお話だったと記憶しておりますが、10回目まで来て、さらにもうちょっと続きそうな予感があるということですよね。文系にとっても、面白い研究は最初のパズルというかリサーチクエスチョン、いわゆる謎がしっかりとあって、検証手段も仮説も明確だし、インプリケーションもはっきりしている。『理系の方々って決して人に興味がないわけではないんだ!』とか、そういうことを知ったわけです。我々文系の方でも、すごく良い評価でしたね。ただ、発表はしたくないという人が多かったというだけで。
[豊田]そこは多分、理系との大きな違いですね。理系では発表することは苦ではなかった。ただ、面白いかどうかというところが、やはり最初は“はてなマーク”がいっぱい飛んでいた。理系の人間は、文系の先生がどんな研究をしているか全く知らないので。『文系の先生の研究って何なん?』と。
[北村]理系の先生からよく聞かれます。
[豊田]今となって分かるのは、過去の資料などをもとに研究されているということですけれど、それが最初は全然理解できなかった。我々は、どちらかと言うと「無いものを探しに行く」ことが普通だと思っていたので、そこに違いはあるにせよ、同じようなアプローチで研究しているということがわかってしまえば、話ができるわけです。そこに辿り着けるかが、やはり一番怖かったのですが、それが上手くいったので良かったです。
こうして誕生した豊中地区研究交流会はその後も毎年開催され、参加部局は10回目の今回で17の研究科・センターに拡大するなど、知の交流の場として大きく発展を遂げています。
Q10. では、10年前に豊中地区研究交流会を立ち上げた当時に思い描いていたものと、今の第10回目とでは、どのように違うか、または実現できているかということを少しお話しいただけますか?
[豊田]最初に始めた時は、産学連携メインだったと思います。我々が産学連携の副理事だったこともあって、豊中から基礎科学、理系も文系もですけれど、基礎に基づいた共同研究、産学連携をやりましょうというミッションがあった。今、それと違う方向の「良い方向」へ来たなと、豊中らしさがすごく出て、文系と理系が全部ある豊中キャンパスらしさが出た会になったかなと思います。ここから先どこへ行くかについては、折角やっているから、何か豊中でプロジェクトを立ち上げたいですよね。豊中の全部局が入って来られるようなプロジェクトをうまく立ち上げていければいいかなと。それがやはり豊中らしさを出す重要なミッションになるのかなと。ただ、それを目標にしてしまうと面白さがなくなる。
あまり考えずに自然と“らしさ”のある研究が立ち上がるといいなと思っています。
[北村]どうもありがとうございました。
編:大阪大学豊中地区研究交流会 幹事部局URA(2025/12/5)